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感動をつくる人たち|第19話「正確さ」だけでは、心は動かない

  • 2 日前
  • 読了時間: 3分


舞台から、少しずつ“呼吸”が消えているように感じることがあります。

たとえば、幕の開け閉めひとつをとっても、そこには大きな違いがあります。

かつては、綱元の方が舞台の流れを感じ取り、音楽や空気、出演者の気配に合わせて、タイミングを見計らいながら幕を動かしていました。

ほんのわずかな“間”。 言葉にはならない、その一瞬の判断。

それによって、舞台の空気は生き物のように動いていました。

けれど最近では、音楽やシステムに組み込まれたCUE(キュー)や、SMPTE(シンプティ)と呼ばれるタイムコードによって、すべてが正確に制御されることも増えてきています。


決められたタイミングで、ズレることなく進んでいく舞台。

それは一見、とても合理的で、完成されたもののように見えます。

けれど、ふと感じるのです。

どこか、温度が足りない。

すべてが整っているはずなのに、なぜか心に残らない。


その理由は、とてもシンプルかもしれません。


舞台から、「人の呼吸」が少しずつ減っているから。


もちろん、技術の進化そのものを否定したいわけではありません。


正確さは、安全を守り、多くの人が安心して舞台を支えるために、欠かせないものです。


けれど同時に、舞台というのは、ほんのわずかな揺らぎや、瞬間の判断によって、表情を変えていくものでもあります。


最近では、プロジェクションマッピングによって、背景そのものが動き、風に揺れる森や、空を舞う鳥たちまで表現できるようになってきました。


技術としては、驚くほど進化しています。


けれど、ふと感じることがあります。


それは——その森は、本当に“生きている”のか、ということです。


舞台は、人が演じて、人が支えて、人が観て、人が感動するもの。


その間に流れているものこそが、本当の意味での“呼吸”なのだと思います。


想定通りにいかない瞬間に、誰かが状況を感じ取り、判断して、次へつなぐ。

その連なりで、舞台は止まらずに進んでいきます。


すべてがシステムに委ねられている舞台は、ときに、とても脆い一面も持っています。

わずかな不具合や、センサーの異常によって、進行そのものが止まってしまうこともある。

人であれば、状況を見て判断し、つなぎ、乗り越えることができたかもしれない瞬間でも、機械は“止まる”という選択しかできません。

それは、正確さと引き換えに手放したもののひとつです。


舞台は、本来とても不安定なものです。


だからこそ、そこに人がいて、支え合い、感じ合いながら、ひとつの時間をつくり上げていく。


その積み重ねが、観る人の心を動かしていくのだと思います。


正確であることは、大切です。

でも、それだけでは足りない。

ほんの少しの揺らぎや、言葉にならない呼吸のようなものが、舞台に命を吹き込んでいるのだと感じています。


舞台は、データではなく、人のあいだに生まれるもの。


だから今日も、どこかの舞台で、誰かの呼吸が、そっと空気を動かしています。 読んでくださってありがとうございます。  心に残りましたら、応援いただけると嬉しいです。

中間裕子(Y.Ai.Nakama)

 
 
 

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