感動をつくる人の原点|序章④私を育ててくれた場所
- 6 日前
- 読了時間: 3分

今でも時々、あの香りを思い出すことがあります。
甘くて、どこか安心するような、みんながつけていたパウダーの香り。
ベビーパウダーだったのかな。
その香りを嗅ぐたびに、私はバレエスクールに通っていた頃の自分に戻ります。
父が亡くなり、母と兵庫県西宮市の母の実家へ引っ越した私は、隣駅の仁川にあった江川バレエスクールへ通うことになりました。
関西では知らない人がいないほど有名な、歴史あるバレエスクールでした。
スクールの玄関には数段の階段があり、その先には大きなガラスの扉。
右側には受付があり、奥にはみんなが着替える部屋。
反対側には螺旋階段があって、それを上がると、大きな窓が印象的な広い稽古場がありました。
窓の外には阪急電車。
レッスンの合間に、電車が走っていくのを眺めていた景色を、今でもよく覚えています。
私の最初の先生は、岡村先生。
まだ若くてハンサムな先生だったので、みんな「ケンちゃん」と呼んでいました。
もちろん先生には、
「ケンちゃん先生でしょ!」
と、よく注意されていました。(笑)
それまで習っていたモダンバレエとは違い、江川バレエスクールのレッスンは、基礎からとても厳しく教えられました。
バーレッスンも、姿勢も、お行儀も。
すべてに理由がありました。
ある日、お姉さんたちがトウシューズで踊っている姿に憧れ、
「私も早く履きたい!」
と先生にお願いしたことがあります。
すると、のぶ子先生が優しくこう教えてくださいました。
「まだ小学2年生。今トウシューズを履くと、足や身体の成長に影響することがあるのよ。
だから、もう少し待ちなさい。」
子どもにも分かるように、理由まで丁寧に説明してくださいました。
厳しい先生でした。
でも、その厳しさの奥には、いつも深い愛情がありました。
怒られても、怒られても、泣きながらでも食らいついていく。
それは、上手くなりたかったから。
そして、先生方が本気で私たちを育てようとしてくださっていることを、子どもながらに感じていたからだと思います。
小学2年生から7年間。
この場所で、クラシックバレエだけではなく、タップダンスも学びました。
技術だけではありません。
舞台へ向かう姿勢や、努力することの大切さ。
私の土台になるたくさんのことを、この場所で教えていただきました。
今でも映画『阪急電車』を見るたびに、車窓から見える、あの特徴のある螺旋階段の建物に目が止まります。
その瞬間、あの頃の景色が、ふっとよみがえるのです。
あの甘いパウダーの香り。
大きな窓から見えた阪急電車。
先生方の声。
どれも、私の大切な思い出です。
私を育ててくれた場所。
江川バレエスクールは、今でも私の心の中にあります。
※この原稿を書きながら調べてみると、1934年(昭和9年)に創設された江川バレエスクール(江川美育研究所)は、2024年3月末をもって約90年の歴史に幕を閉じていました。
少し寂しい気持ちになりました。でも、私の中には、あの頃の景色も、先生方の温かさも、今も変わらず残っています。
「ありがとうございました。」
読んでくださってありがとうございます。
心に残りましたら、応援いただけると嬉しいです。
中間裕子(Y.Ai.Nakama)




コメント