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感動をつくる人の原点|序章⑤舞台は、いつも私の遊び場だった

  • 2 日前
  • 読了時間: 2分


私が子どもの頃、家の中には小さな舞台がありました。


昔の家は畳の和室。


その畳と畳の間の隙間に、祖母が着物を仕立てる時に使っていた竹の物差しを一本、差し込みました。


それが、私のスタンドマイク。


そして、そこが私の舞台でした。


当時流行っていた歌を歌いながら、踊る。

家族や親戚がお客さん。

私は、歌って踊ることが大好きでした。


今思えば、あれが私にとって最初のエンターテイメントだったのかもしれません。


そんな毎日を過ごしていた私にとって、江川バレエスクールの舞台は、何より楽しみな時間でした。


一年を通して、季節ごとに舞台へ立つ機会がありました。


その中でも、私が一年で一番楽しみにしていたのが、夏の発表会でした。


会場は、宝塚歌劇団の大劇場。


朝早く劇場へ入り、場当たりを終えると、先生や生徒、保護者のみんなで宝塚ヘルスセンターへ移動します。


夕方になり、歌劇団の公演が終わると、今度は劇場の楽屋へ。


あの頃の私には、それだけでも特別な一日でした。


今思えば、あの楽屋に入れたことは、とても貴重な経験だったのだと思います。


でも当時の私は、そんなことより、舞台に夢中でした。


毎日、ここで歌い、踊っている人たちがいる。

そのことが、ただただ羨ましかった。


花組。

月組。

雪組。

星組。


そんな名前は知っていても、公演の仕組みなんて考えたこともありません。


ただ一つ、心の中にあったのは、

「私も、毎日この舞台に立ちたい。」

その気持ちだけでした。


あの頃、宝塚という舞台は、私にとって憧れの場所になりました。


でも今振り返ると、舞台に立ちたいという夢は、その時に生まれたのではなかったのかもしれません。


畳の上で、祖母の竹の物差しをスタンドマイクにして歌っていたあの頃から、

私はずっと、舞台が好きだった。


人前で歌うこと。

踊ること。

誰かに楽しんでもらうこと。


それが、何より好きだったのです。


だから宝塚は、

私に夢を与えてくれた場所というより、

私の夢に、名前をつけてくれた場所。


そんな気がしています。 読んでくださってありがとうございます。  

心に残りましたら、応援いただけると嬉しいです。


中間裕子(Yuko.Ai.Nakama)

 
 
 

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