感動をつくる人たち|Season3 第4話 その場所にしか、つくれないショーがある。

ショーをつくるとき、作品だけを考えていればいいわけではありません。
どこで上演するのか。
私は、それも演出の一部だと思っています。
劇場やコンサートホール、ホテルの宴会場、コンベンションホールなど、多目的に使うことを前提につくられた場所では、さまざまな世界をつくることができます。
でも、ときどき、
その場所自体が、強い個性を持っていることがあります。
そんな場所に出会ったとき、私は、その場所が何を語っているのかを考えます。
その主張を消してしまうのではなく、
その場所が持つ声に、耳を傾ける。
そこから、作品づくりが始まることがあります。
土臭い場所だった
以前、ゴールドラッシュの時代を舞台にした、ミュージカル型のショーをつくったことがあります。
舞台は、金鉱を中心に人々が集まる「ゴールドタウン」と呼ばれる小さな町。
映画『掠奪された七人の花嫁』を題材にした、アメリカ西部の田舎町の物語です。
金鉱を掘る男たちのところへ、都会から女性たちがやってくる。
粗野で、女性との接し方もよく分からない男たちは、彼女たちに恋をします。
けれど、うまくいかない。
納屋で開かれるバーンダンス・パーティーでは、男たちの不器用さから大騒ぎになり、せっかくのパーティーも台無しになります。
そこから男たちは、身なりを整え、マナーを覚え、女性をダンスに誘う方法を学んでいく。
一方の女性たちも、この土地で生きていくことを考え始める。
そして、もう一度開かれるバーンダンス・パーティー。
今度は、最初とは違う景色が生まれ、ハッピーエンド。
そんな物語でした。
今振り返ってみると、なぜ、あのショーがうまくいったのか。
答えは、とても単純だったように思います。
そこが、そういう場所だったからです。
このエリア。この小屋。この匂い。
そこには、小さな木造のステージがありました。
決して、お洒落なショーをするような場所ではありません。
むき出しの木。素朴な建物。
すぐそばには水辺があり、緑があり、夜になると虫の声も聞こえる。
アメリカ西部の田舎町の河岸に建つ、小さな納屋。
そんな空気を持った場所でした。
そして客席では、ゲストの皆さんが食事を楽しみながら、ショーを観ていました。 フライドチキンやポテト。 そこには、料理のおいしそうな匂いが漂っていました。
舞台の上だけで西部の町をつくらなくても、客席から漂ってくるその匂いまでが、いつの間にかショーの世界の一部になっていました。
だから、その場所を別の何かに見せようとする必要はなかった。
この場所が持っているものを、そのまま作品の力にしよう。
そんなショーだったのだと思います。
小さな舞台だから、できること
舞台機構にも制約があり、大掛かりな場面転換ができるわけではありません。
でも、西部の田舎町にある小さな納屋なら、豪華でないこと自体が世界観になります。
木の壁も、梁も、樽も、木箱も、車輪も。
出演者が客席へ飛び出せば、そこも町の一部になる。
客席で食事をしている人たちも、一緒にバーンダンスに参加する。
いつの間にか、「舞台」と「客席」の境界もなくなっていきました。
町は、舞台装置だけでつくるものではありません。
音楽があり、衣装があり、ダンスがあり、人がいる。
それらが場所とひとつになったとき、
そこに、ひとつの世界が生まれます。
その場所の主張を、聞いてみる
その場所自体が独自の主張をしているなら、私は、その主張を蔑ろにしたくありません。
演出する側が、自分のつくりたいものを持ち込むことで、その場所がもともと持っていた魅力を消してしまうこともあるからです。
作品を押しつけるのでもなく、場所にすべてを合わせるのでもない。
場所と作品の、調和を考える。
あの小さなステージで生まれたショーは、まさにそういう作品だったのだと思います。
ゴールドラッシュの時代。
土臭い男たち。
納屋のバーンダンス。
料理の匂い。
夜の虫の声。
その全部があったから、あの作品が生まれた。
その場所にしか、つくれないショーがある。
演出家が何かを足す前に、その場所が、すでに持っているもの。
それを見つけることもまた、演出なのだと思います。 読んでいただき ありがとうございました。
中間裕子(Yuko.Ai.Nakama)






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