感動をつくる人の原点|Season2 第2話 夢は「憧れ」から「目標」へ

第1話では、 応接間のテーブルに置かれたアルバムを、一緒に開いていただきました。
そのページをめくると、 そこには15歳の私がいました。
人生で初めて、 自分の進む道を選ぶ時です。
当時、私はクラシックバレエを続けていました。
そんなある日、 バレエの先生に、 「宝塚音楽学校を受験したいと思っています。」
そうお話ししました。
すると先生は、 少し意外なお返事をされました。
先生には、 私をロシアへ留学させたいという思いがあったのです。
当時の私は15歳。 今思えば、 高校を卒業した後の留学まで考えてくださっていたのかもしれません。
先生が、 私の将来を真剣に考えてくださっていたことは、 今でも本当に嬉しく、感謝しています。
一方で、 私の心は、 少しずつ別の世界へ向かっていました。
それが、 宝塚歌劇団です。
とはいえ、 受験するには大きな問題がありました。
バレエは続けていました。
ピアノも習っていました。
でも、 受験に必要なものが、 もう一つありました。
声楽です。
歌うことは大好きでした。
中学生になると、 友達とバンドを組み、 友達が作詞を担当し、 私は作曲もしていました。 でも、声楽となると自信はありませんでした。
そこで、 声楽の先生のもとへ通い始めます。
まだ習い始めて三か月。
入学試験日まで、時間がありません。
先生は笑顔でこうおっしゃいました。
「今回は、入学試験の会場を見学するつもりで受けてごらんなさい。」
その言葉に少し気持ちが楽になりました。
それでも、毎週日曜日になると、 一緒に受験する仲間が先生のお宅へ集まり、 模擬試験のようなレッスンを受けながら、 少しずつ受験の日を迎える準備をしていきました。
家族は、 私の挑戦に反対しませんでした。
祖父は、 「芸事は、プロになるなら一日でも早く始めた方がいい。」 という考えでした。 ただ一つだけ、 約束がありました。
もし今回の受験がうまくいかなければ、 高校は中退せず、 卒業すること。
その上で、 もう一度挑戦すればいい。
夢を応援しながらも、 現実を大切にする。
それが、 祖父らしい温かさだったように思います。
では、 なぜ私は、 そこまでして宝塚を目指したのでしょう。
もちろん、 綺麗な衣装にも憧れていました。
娘役にも憧れていました。
スポットライトを浴びて、 歌い、踊り、お芝居をする。
15歳らしい、 素直な憧れです。
でも、 今振り返ると、 私が本当に惹かれていたのは、 宝塚という名前ではなく、 劇場という世界だったように思います。
舞台に立ち、 音楽が流れ、 客席があり、 誰かに拍手をいただける世界。
もし宝塚へ入れなかったとしても、 私はきっと、 別の舞台を目指していたと思います。
15歳。 人生で初めて、 自分で進む道を選びました。
その日から、 私の夢は、 「憧れ」から 「目標」へと変わりました。
そして、その一歩が、
のちに「感動をつくる人」への道へと続いていくことを、 15歳の私は、
まだ 知る由もありませんでした。
中間裕子(Yuko.Ai.Nakama)





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