感動をつくる人の原点|Season2 第5話 何も疑うことを知らない15歳の私

合格発表の日。
私の頭の中は、 可愛い制服を着られる喜びでいっぱいでした。
でも、 その制服に袖を通した日から始まる毎日が、どれほど厳しいものなのか。 15歳の私は、 まだ何も知りませんでした。
入学式の日。 初めて制服に袖を通しました。
鏡に映る自分を見ながら、「見て見て! 私、宝塚音楽学校の制服を着てる!」 そんな気持ちでいっぱいでした。
嬉しくて、 誇らしくて、 早く誰かに見てもらいたい。 制服姿のまま、 地元の町を歩くのも楽しみでした。
当時は、 町内のみんなが顔見知りでした。
まるで、親戚のおじちゃん、おばちゃんのような存在でした。
電気屋さん。
お米屋さん。
お肉屋さん。
お魚屋さん。
駄菓子屋さん。
みんな道で会うたびに、「宝塚、合格したんだね!」 「おめでとう!」 そんな温かい言葉をかけていただきました。
15歳の私には、 それがとても嬉しかったのを覚えています。
そして、 毎日の通学が始まりました。
阪急宝塚南口駅から、 音楽学校へ向かう道。
武庫川に架かる、 宝塚大橋。 全長154.2メートル。
春も。
夏も。
秋も。
冬も。
雨の日も。
風の日も。
毎日この橋を渡ります。
一般の方にとっては、 宝塚ファミリーランドや温泉街へ向かう、 華やかで楽しい橋だったと思います。
でも、
私たち予科生にとっては、 少し意味が違いました。
私たちはその橋を、 『地獄橋』 と呼んでいました。
見通しの良い、 まっすぐな橋。
遠くからでも、 上級生の姿が見えます。
上級生を追い越す時には、 「お先に失礼します。」
荷物を重そうに持っておられたら、 「お荷物、お持ちします。」 と声をかける。
それが、 予科生の日常でした。
阪急電車にも、決まりがありました。
予科生は、一番後ろの車両。
座ってはいけません。
ドアのところに立っているのが決まりでした。
駅のホームで電車を待っている時、 反対側のホームに電車が入ってくる。
その電車の中に、 上級生が乗っているかもしれない。
だから、 電車が通り過ぎる間は、 ずっとお辞儀をしていました。
今思えば、 まるでキツツキのように、 頭を上下させていた気がします。(笑)
実際に上級生が乗っていたかどうかは、 分かりません。
でも、
「乗っていらっしゃるかもしれない。」
それだけで、 自然と体が動いていました。
髪を染めている女性を見かけると、
「あっ、上級生かもしれない。」
そう思って、 ペコリ。
私服の日も同じでした。
あまりにも目立つので、 家族からは、 「恥ずかしいから、一緒には歩けない。」 と言われたこともありました。(笑)
それでも、 15歳の私は、 言われたことを疑いませんでした。
疑わないというより、
疑うことを知らなかったのかもしれません。
この世界で生きるなら、 この世界のルールを守る。
ただ、 そう思っていました。
受験の時には、 優しく接してくださっていた先輩方も、 入学したその日から、 本科生と予科生。
関係は180度変わりました。
最初は、 本当に驚きました。
昨日まで笑顔だった先輩が、 今日は厳しく指導してくださる。
どうして? そう思うこともありました。
でも、 口答えはしない。
まず謝る。
理由を聞いていただけた時に、初めて説明する。
それでも、
「言い訳しない!」と怒られる。
そんなことも、この一年で少しずつ覚えていきました。
学校であったことを、 家族に話してはいけない。
そんな教えもありました。
だから、
家に帰っても、 弱音を吐くことはありませんでした。
芸の道を歩むと決めたなら、 簡単に甘えてはいけない。
そんな覚悟を、 少しずつ教えられていたのかもしれません。
予科生の一年は、 確かに厳しい毎日でした。
理不尽だと思うこともありました。
泣いた日もありました。
でも、
その時間の中で、 忍耐力も、 精神力も、 少しずつ鍛えられていったのだと思います。
だから、
辞めたいとは思いませんでした。
もしかしたら、
心のどこかで思った日もあったのかもしれません。
でも、
目の前には、 本科生になる日。
そして、
その先に待っている初舞台。
大きな“にんじん”が、 しっかりぶら下がっていました。(笑)
だから、 簡単には諦められなかったのだと思います。
今振り返ると、
あの一年で学んだのは、 歌や踊りだけではありませんでした。
礼儀。 責任。 忍耐。
先輩を敬うこと。
言い訳を、先に言わないこと。
そして、
舞台人として生きるための覚悟。
当時は、 ただ必死でした。
でも、 あの予科生の一年が、 私という人間の土台をつくってくれたのだと思います。
可愛い制服に憧れて入った世界には、 想像もしなかった厳しさがありました。
でも、 その厳しさの中で、 私は少しずつ、 舞台に立つ人としての心を、 育ててもらっていたのかもしれません。
夢の世界には、 夢を支えるための土台がありました。
その土台の上に、 私は立ち始めていたのです。
※添付写真は、当時『サンデー毎日』に掲載された写真です。
読んでくださってありがとうございます。
中間裕子(Yuko.Ai.Nakama)





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