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感動をつくる人の原点|Season2 第19話 転換そのものを、ショーにする
前日に続いて、『ワン・マンズ・ドリーム』のお話です。 1988年、初めてこのショーを観た時。 次から次へと違う世界が現れていくことに、私は夢中になっていました。 そして、今でも振り返ると、印象に残っていることがたくさんあります。 その一つが、 場面と場面のつなぎ方です。 場面が変わっていく オープニングに続く『不思議の国のアリス』のシーンでは、絵が描かれた可動式のパネルが使われていました。 そのパネルを動かしながら舞台の景色を変え、そこから現れたのは、まるでアニメから抜け出してきたようなお花のダンサーたち。 出演者が登場することと、舞台の景色が変わることが、一つになっていました。 そして、『ジャングル・ブック』。 ここにも、印象的な場面転換がありました。 オープニングで、ミッキーとミニーの世界が白黒からカラーへと変わった時に使われていた、回転するパネル。 そのパネルが、いつの間にか次の場面のために準備されています。 そして反転すると、 キング・ルイが乗った、ジャングルのセットが現れる。 実は今回、昔の映像をあらためて見直してみたのですが、 「これ
8月31日


感動をつくる人の原点|Season2 第18話 30分に詰まっていたもの
前日に続いて、『ワン・マンズ・ドリーム』のお話です。 今回も、 あの30分から何を感じ、何を学んだのか。質問に答える形で振り返ってみたいと思います。 1988年。 初めてこのショーを観た時、私は30分という上演時間にも驚きました。 ――ショーの上演時間が30分と聞いて、どう感じましたか? 「短い。」 そう思いました。 それまで私が出演してきた宝塚のレビューショーは、短いものでも45分ほど。 私にとって30分という時間は、 「たった30分しか上演しないの?」 と、とても短く感じるものでした。 ところが、ショーを観終わった時の感覚は、まったく違いました。 一言で言うなら、 「お腹いっぱい。」 それなのに、 「もう一度観たい。」 満腹なのに、また食べたい。(笑) 不思議な感覚でした。 ――その30分の中には、何があったのでしょう? 本当に、いろいろな世界がありました。 オープニングでは、モノトーンだった世界が鮮やかなカラーへと変わっていく。 『不思議の国のアリス』では、バレエのテクニックをふんだんに取り入れた、アリスの美しいソロダンス。...
8月30日


感動をつくる人の原点|Season2 第17話白黒の世界に、色が生まれた瞬間
前日に続いて、『ワン・マンズ・ドリーム』のお話です。 今回は少し趣向を変えて、 あの30分から何を感じ、何を学んだのか。質問に答える形で振り返ってみたいと思います。 1988年。 東京ディズニーランドで、このショーを初めて観た時のことです。 ――最初に驚いたのは、何でしたか? 幕です。 それまで、劇場の緞帳とは、劇場ごとの顔のような存在があり、厚い素材に刺繍が施されていたり、色にも品格があったりと、私にとっての緞帳というものは、とても重厚な存在でした。 ミュージカルのOvertureが流れている時も、緞帳はそこに静かに存在している。 そんなイメージを持っていました。 ところが、『ワン・マンズ・ドリーム』では違いました。 テーマ音楽が始まると、舞台を閉じていた幕に描かれたお城が、光によってマジカルに輝き始めます。 まだ幕は開いていない。 でも、 もう何かが始まっている。 私は、その時点ですでにワクワクしていました。 ――そして、幕が開くと? そこに現れたのは、 モノトーンの世界でした。 セットも、そこに登場したミッキーもミニーも白黒。 そこでミッキ
8月29日


感動をつくる人の原点|Season2 第16話 そこまで、どう観客の気持ちを連れていくか
演出家になったばかりの頃、 私はバーネット・リッチ(Barnette Ricci)というアメリカ人演出家が手がけた、東京ディズニーランドの『ワン・マンズ・ドリーム』というショーに、とても大きな影響を受けました。 1988年のことです。 バーネットさんのリハーサルを間近で見て、演出の方法を教えていただいたわけではありません。 私が学んだのは、 完成した作品そのものでした。 それまで私は、宝塚でレビューショーに出演してきました。 短いショーでも、最低45分はありました。 ところが、『ワン・マンズ・ドリーム』は、30分ほどで完結するショーでした。 その短い時間の中で、次から次へと違う世界が現れます。 笑ったり。 ワクワクしたり。 美しさに見惚れたり。 驚いたり。 私は、すっかりその世界に引き込まれていました。 そして、今でも忘れられないシーンがあります。 フライングです。 その作品にフライングがあることは知っていました。 だから私は、 「いつ飛ぶんだろう。」 と思いながら観ていました。 でも、 なかなか飛ばない。 まだ。 まだ。 まだ……。 そして、
8月28日


感動をつくる人の原点|Season2 第15話 音楽は、呼吸する
昔、私が演出・振り付けをした、生演奏のショーでのことです。 1950年代のアメリカをイメージした、オールディーズのショーでした。 オープニングナンバー。 Big Bandの華やかな演奏が始まり、出演者たちがステージに登場します。 そして突然、 音楽が止まる。 静寂の中、一人の男性が、ジャケットの内ポケットからコームを取り出し、髪を整える。 そして、パートナーの女性へ手を差し出す。 その女性は、 「もちろん私よね。」 そんな表情で男性に近づき、その手を取ると、 「ヒューヒュー!」 周りの出演者たちから、二人をはやし立てる声が飛ぶ中、 男性が女性を抱き寄せ、 ディップ。 その瞬間、 止まっていたBig Bandの演奏が、一斉に再開! 実は、この演奏が再開するタイミングには、決められたカウントがありませんでした。 バンドリーダーは演者を見ている。 演者も、バンドの気配を感じている。 そして、 「今だ。」 その瞬間に指揮が出て、音楽が動き出す。 演者が音楽に合わせるだけではありません。 音楽も、演者を見ている。 私は、そんな生演奏のショーが大好きです。.
8月26日


感動をつくる人の原点|Season2 第14話 受け継がれていく教え
基本的に、私の振付の現場では、フォーメーションをつける前に、全員で踊る部分の振付をします。 それが終わると、いよいよフォーメーションをつける作業に入るのですが、ここで、ある演出家から言われたことがあります。 「振付師は、センターから動くな。」 最初に聞いた時は、その意味がよく分かりませんでした。 当時の私は、フォーメーションをつける時、出演者のところまで行って、 「もう少し右。」 「あなたは、あと半歩前。」 そんなふうに、一人ひとりを自分で動かしていました。 すると、その演出家から、 「そこへ行って動かすのではなく、センターから指示を出しなさい。」 と教えられたのです。 ステージには、「場ミリ」という目印を付けます。 出演者が自分の立ち位置を覚えられるように、ステージ前に等間隔の番号を付けたり、横のラインが分かるように目印を付けたりします。 リハーサルの時は、スタジオの床にその場ミリを貼って、 「Aラインの3番。」 「Bラインの2番。」 と伝えることで、出演者は自分でその場所へ移動することができます。 もしかすると、出演者のそばまで行って位置を直
8月24日


感動をつくる人の原点|Season2 第13話 創るということ
振付師として仕事を始めた頃、私は劇場とはまったく条件の違う場所で、振付をするようになりました。 それまで私が知っていたのは、劇場の舞台です。 劇場には照明があります。 「今、お客様にどこを見てもらうか。」 照明によって、観客の視線を導くことができます。 ところが、太陽の下ではそうはいきません。 とにかく、全部見える。 見せたい出演者だけではなく、次のシーンのために準備している出演者まで見えてしまいます。 では、どうやってお客様の視線を導くのか。 そこで私が学んだのが、人の動きとフォーメーションでした。 見せたい人を動かし、周りを一瞬止める。 動きに強弱をつける。 フォーメーションを変化させながら、自然と見せたい場所へ視線を導いていく。 そして、もう一つ気づいたことがありました。 太陽の下でも成立するように創ったステージは、夜になって照明が加わると、さらに魅力的になる。 この考え方は、今でも私の中に残っています。 照明を十分に使える場所であっても、 「もし照明がなくても、このフォーメーションだけで成立するだろうか。」 そう考えます。 振付は、ステッ
8月21日


感動をつくる人の原点|Season2 第12話 マエストロとの出会い
東京でダンサーの仕事を始めた頃、 私は、あるレストランのステージショーに出演することになった。 そのショーの演出家が、Larry Billman (ラリー・ビルマン)さん 細身だけれど背が高く、いかにも“アメリカ人”という雰囲気の男性だった。(笑) そして、その瞳はとても優しかった。 後に私が、「マエストロ」と呼ぶことになる人物だった。 私は彼が手がける作品に関わりながら、それまで自分が知っていた劇場という世界の外にも、さまざまなエンターテインメントがあることを知った。 Larryさんは、作品をつくるだけの人ではなかった。 出演者を集めて、ダンスについての講義を開いてくれることもあった。 ジャズダンスをはじめ、さまざまなダンススタイル。 映画やミュージカルの話。 日本ではまだあまり知られていなかった世界を、実演を交えながら楽しく教えてくれた。 私たちにとって、その時間は毎回、新しい発見の連続だった。 そして何より、Larryさんはジョークが大好きだった。 いつも笑顔。 現場には自然と笑いが生まれる。 出演者だけではない。 スタッフも含め、その場に
8月18日


感動をつくる人の原点|Season2 第11話 夢の国への入口
あの日の夕方、東京ディズニーランドへ向かった私は、東京のお父さん、お母さんと一緒に、そのおすすめのショーを観に行きました。 「Swing and Sing」 プラザパビリオン・バンドスタンドという、アメリカ映画に出てくるような白いガゼボ(東屋)のステージ。 18人編成のビッグバンドの生演奏に乗せて、外国人出演者と日本人出演者が一緒になって、1930年代のスウィングジャズを、おしゃれに歌い踊るショーでした。 夕暮れ時には、風を感じながら楽しむ軽やかなショー。 そして、夜空を彩る花火が終わったあとのステージは、ライトアップされたバンドスタンドにビッグバンドの音が響き渡り、また違った表情を見せてくれました。 大人の雰囲気に包まれた、パワフルで上質なエンターテインメント。 「こんなディズニーもあるんだ。」 それまで、ディズニーといえば、ミッキーやミニーたちが活躍するキャラクターショーを思い浮かべていた私には、キャラクターが登場しないこのショーは、とても新鮮な驚きでした。 そして、私が惹かれたのは、そのショーだけではありませんでした。 ワールドバザールから
8月16日


感動をつくる人の原点|Season2 第10話 もう一度、あの場所へ
1983年2月10日。 私は、黒紋付に緑の袴という宝塚の伝統的な正装を身にまとい、大階段を降り、宝塚歌劇団を退団しました。 そして、新しい人生を歩み始めました。 その約二か月後。 1983年4月15日、東京ディズニーランドがグランドオープンしました。 当時、東京のお父さん、お母さんのように私を支えてくださっていたご夫妻からお声をかけていただき、グランドオープニングの前夜祭と、オープニング当日に、VIP席へご招待いただきました。 そこに広がっていたのは、それまで私が見たことのない世界でした。 屋外に響き渡る、前田憲男さん率いるフルオーケストラの華やかな生演奏。 目の前で繰り広げられるパフォーマンス。 そして、スーザン・アントン、パット・ブーン、ダニー・ケイ、リチャード・チェンバレンをはじめ、アメリカを代表するエンターテイナーたち。 まるでアメリカのショービジネスそのものが、日本へやってきたような空間でした。 それまで私が知っていたのは、 劇場の緞帳が上がり、舞台から客席へ作品を届けるものでした。 けれど、そこでは違いました。 ...
8月12日


感動をつくる人の原点|番外編 アルバムを開く日
第9話を書き終えたあと、 久しぶりに宝塚時代のアルバムを開いてみました。 ページをめくっていると、 「ああ、こんな役もやったな。」 「この衣装、懐かしい。」 そんな記憶が、次々と蘇ってきます。 今日は、番外編として、 皆さんと一緒に、懐かしい宝塚時代のアルバムをめくってみたいと思います。 宝塚の舞台では、作品や役によって、本当にさまざまな衣装を着せていただきました。 可愛らしい娘役もあれば、少し大人っぽい役もあり、 そのたびに、髪型やメイクも変わります。 華やかなレビューの舞台も大好きでしたが、もちろん、お芝居の作品にもたくさん出演しました。 時代も、国も、役柄もさまざま。衣装を着て、メイクをして、その役として舞台に立つ。今、写真を見返してみると、本当にいろいろな人物を演じていたのだなと思います。 そして宝塚の舞台では、 洋物だけでなく、日本物のお芝居やレビューショーの舞台にも立ちました。 衣装さんに、着物を着付けていただき、床山さんに、かつらをつけてもらい、 宝塚独特のオーケストラの演奏で日本舞踊を踊る。 同じ舞台の上でも、 ...
8月11日


感動をつくる人の原点|Season2 第9話舞台の上、舞台の向こう
アニーの公演が終わり、私は再び宝塚の舞台へ戻りました。 毎朝のダンスレッスン。 宝塚大劇場公演の稽古。 東京宝塚劇場公演の稽古。 地方公演の稽古。 イベント出演の稽古。 それぞれの舞台へ向けた稽古に加え、 『宝塚』や『宝塚グラフ』などの撮影にも参加し、 娘役として、毎日があっという間に過ぎていく、忙しくも充実した日々を送っていました。 アニー出演のために増やした体重も、再び娘役らしい体型へ戻さなければなりません。 踊ることを我慢していた時間を取り戻すように、毎日レッスンを重ね、少しずつ本来の身体へ戻していきました。 その時、親身になって支えてくださったのが、お世話になっていた振付師のマコちゃん先生(羽山紀代美先生)でした。 先生は、いつも私のことを気にかけてくださり、時には厳しく、時には優しく見守ってくださいました。 でも、アニーで見た制作現場の景色は、私の中から消えることはありませんでした。 舞台に立つことだけではなく、 作品をつくること。 振付を考えること。 演出を組み立てること。 そんな、作品を生み出す側の仕事に、私は少しずつ惹かれていった
8月10日


感動をつくる人の原点|Season2 第8話 舞台の向こう側が見えた日
宝塚本公演『誰が為に鐘は鳴る』の上演中、私は外部公演ミュージカル『アニー』に出演することになりました。 初めての東京での生活。 とはいえ、東京には心強い存在がいました。 初舞台を踏んだ頃から、ずっと私を応援してくださっていたご夫妻です。 私にとっては、東京のお父さん、東京のお母さん。 私は、パパ、ママと呼んでいました。 アニーの主演が決まったことをお知らせすると、 「こちらでお預かりしますから、安心してください。」 そう言ってくださり、母も安心して私を送り出してくれました。 こうして私は、毎朝そのお家から東宝の稽古場へ通うことになりました。 そこには、宝塚とはまったく違う世界が待っていました。 ウォーバックス役の若山富三郎さん。 グレース役の近衛真理さん。 ルースター役の真島茂樹さん。 子どもの頃からテレビで見ていた『魔法使いサリー』の声でおなじみの平井道子さん。 そして、舞台でサンディを演じる、とても賢い犬。 今考えれば、 「とんでもないところに入ってしまった。」 と思ってもよさそうなものです。 でも、その頃の私は、そんなこともよく分かっていま
8月8日


感動をつくる人の原点|Season2 第7話 人生を変えた一本の電話
劇団に入団した私は、 宝塚歌劇団の研一(研究科一年生)となり、 初舞台を終えた後も、 宝塚のさまざまな作品で舞台に立ちながら、 少しずつ舞台人として成長し、 楽しくも忙しい毎日を過ごしていました。 そんなある日。 『誰が為に鐘は鳴る』の公演中、 楽屋に一本の連絡が入りました。 「終演後、事務所へ来てください。」 理由は分かりません。 「何だろう?」 そのくらいにしか思っていませんでした。 終演後、 劇団の事務所へ向かうと、 大きな会議室へ案内されました。 部屋の中には、 普段劇団では見かけない男性の方々が並んでいます。 少しだけ、 いつもと違う空気。 でも、 その頃の私は、 オーディションというものを経験したことがありませんでした。 だからでしょうか。 緊張するという感覚もありません。 「では、この曲を歌ってください。」 ピアノの伴奏が始まります。 歌います。 「はい、次は台詞を言ってみてください。」 台詞を喋ります。 「じゃあ、もう一曲。」 言われるままに歌い、 言われるままに喋り、 気がつけば終わっていました。 「あ
8月6日


感動をつくる人の原点|Season2 第6話 束の間のオアシス
予科生の一年が終わりました。 そして私は、 本科生になりました。 予科生は、たった一年。 でも、 あの一年は、 とても長く感じました。 だからこそ、 本科生になれた日。 私は、 心の中でこう思いました。 「やっと天国だ。」 (笑) 本科生になると、 予科生の頃は許されなかったことが、 色々と許されるようになりました。 制服の着こなし。 スカート丈。 ヒールの靴。 髪型。 お化粧。 娘役を目指す私は、 ポニーテールにしたり、 リボンをつけたり。 鏡を見る時間も、 少し楽しくなりました。 同期のお姉さんたちが、 「眉毛はこうするといいわよ。」 「ここはもう少しこうした方が可愛い。」 そんなふうに、 いろいろ教えてくれました。 まだ16歳。 やっぱり、 可愛くなれることは嬉しかったのです。 でも、 制服を自由に着こなせるようになったからといって、 のんびりしている時間などありませんでした。 私は、 学校が終わると、 声楽。 日本舞踊。 お琴。 タップダンス。 それぞれの個人レッスンへ向かいました。 同期のみんなも、 声楽。 クラシックバ
8月4日


感動をつくる人の原点|Season2 第5話 何も疑うことを知らない15歳の私
合格発表の日。 私の頭の中は、 可愛い制服を着られる喜びでいっぱいでした。 でも、 その制服に袖を通した日から始まる毎日が、どれほど厳しいものなのか。 15歳の私は、 まだ何も知りませんでした。 入学式の日。 初めて制服に袖を通しました。 鏡に映る自分を見ながら、「見て見て! 私、宝塚音楽学校の制服を着てる!」 そんな気持ちでいっぱいでした。 嬉しくて、 誇らしくて、 早く誰かに見てもらいたい。 制服姿のまま、 地元の町を歩くのも楽しみでした。 当時は、 町内のみんなが顔見知りでした。 まるで、親戚のおじちゃん、おばちゃんのような存在でした。 電気屋さん。 お米屋さん。 お肉屋さん。 お魚屋さん。 駄菓子屋さん。 みんな道で会うたびに、「宝塚、合格したんだね!」 「おめでとう!」 そんな温かい言葉をかけていただきました。 15歳の私には、 それがとても嬉しかったのを覚えています。 そして、 毎日の通学が始まりました。 阪急宝塚南口駅から、 音楽学校へ向かう道。 武庫川に架かる、 宝塚大橋。 全長154.2メートル。 春も。 夏も。 秋
8月2日
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